ジェレマイア・オルバーグ 博士:国際基督教大学 特任教授

娘をMILEに通わせたのは、わが子がICUに合格できるようにと願う“親心”からであった、ということも、もちろんない訳ではありません。しかし、これは私がこの私塾を選択した理由の一端にすぎませんし、こんな言い方をしては、たとえ事実であっても、その背景をなすもっと深く、もっと重要な理由がぼやけてしまったり、誤解を招いてしまったりするかも知れません。
わたしは、ながく大学の教壇に立ってきましたが、正直なところ、日本の大学の入試制度には少なからぬ違和感をいだいてきました。ICUの入試も残念ながらその例外ではありませんし、母国アメリカの選抜制度にも多くの疑問を感じています。ただし私が疑問視しているのは、論壇やメディアでもしばしば取り上げられるような問題とはすこし異なっています。私の目に最も深刻に映るのは、日本の受験文化においては「手段」と「目的」が倒錯されてしまっているという事態です。すなわち、本来なら入学者選抜のため「プロセス」であるはずの入学試験が自己目的化し、合格それ自体が至高の「ゴール」になってしまっているということです。
これはきわめて深刻な問題であると言わざるを得ません。というのも、End という英単語の両義性 ―すなわち一方で「目的」、他方で「終着」を意味するー が示唆しているように、日本の大学受験においては、「手段」であるはずの入試は「End =目的」に転倒しているばかりか「End =終わり」にまでなってしまっているからです。その結果、おおかたの大学生にとって、合格という目的の達成は、即、勉学それ自体の “ジ・エンド” を意味しており、大学は higher learning すなわち「さらなる学び」のための場ではなく、友達づきあいと、コネ作りと、就活のための場所に堕してしまっています。友達をつくったり、コネクションを広げたり、仕事探しをしたりも、もちろん悪くはありません。しかし、どれも大学教育の本義ではありません。
先ほども述べたように、娘を MILE に通わせたのは、たしかに、彼女が「スムーズに大学に入れるように」と願ってのことでした。しかし「スムーズに大学に入れるように」とは「手っ取り早く受かってほしい」という意味ではありません。そうではなくて「大学に入るための勉強」と「大学に入ってからの勉強」とがシームレスにつながっている、そんな理想的な“受験勉強”をしてほしいと望んでいた、ということです。MILE であれば「ICUに合格するための勉強」と「ICUに進学してからの勉強」とが有機的に連続しているに違いない、そう期待したのでした。
ここで誤解していただきたくないのは、わたしは「高校教育と大学教育には何らの違いもない」とか、「高校生も大学生と全く同じ仕方で学ぶべきだ」などと申し上げたい訳ではないということです。両者の学びには明確な違いがあります。高校教育の役割はあくまでも、学生たちに基本的なスキルと知識を教授し、大学での学びに備えさせることであり、大学教育の本義は a common search for universal truths すなわち「普遍的な真実を協働的に探求すること」にあります。
大学人である私が MILE を高く評価しているのは、まさにこの点、つまり、この私塾が学生たちを、入試ではなく、大学での学びに備えて鍛えてくれるということです。難解なテキストを読み解くスキルや、複雑な問題を建設的に論じるマナーをきちんと指導してくれるのです。テキストを読んだり論じたりできるようになるには、越えなければならない困難が数多くあります。ひとつの言語を深奥まで習得することも ―母語であれ第二言語であれ― 決して容易ではありません。ハードなテキストを読むことは・・・当然ながら、ハードです。時間もいりますし、根気もいります。読んだテキストについて、適切な問いを立てる力も、すぐには身につきません。テキストについて実りある仕方で論じ合うことも、これまた一朝一夕にはなしえません。というのも、共に論じるには、自らの無知をさらけ出す勇気が求められるからです。自分が分かっていないことを ―他者に対しても、自らに対しても― 率直に認められる安心感のある雰囲気を創ることは、もとより教育における最も困難な課題のひとつですが、これは、私の見るところでは、日本においては、なおのこと難しいように思われてなりません。
ところが、なぜか不思議なことに、MILEにおいては、松谷先生らご指導のもと、この困難が見事に克服されているのです。学生たちは、テキストに対しても、クラスメイトに対しても、主体的に問いかけ、またテキストから、クラスメイトから、問われる経験を重ねるうちに、やがて皆、おのずと the joy of learning「学ぶことの愉悦」を発見するにいたるのです。
わたしは、そのような変化が、わが子のうちに生じるのを、間近に見てきました。娘はもともと知的な子ではありましたが、学校の勉強は性に合わなかったのか、勉強らしい勉強はあまりしてきませんでした。パズルなど好きなことには長時間集中できても、本格的な書物に取り組んだり時事問題に関心を向けたりといったことはほとんどありませんでした。ところがです、松谷先生がそっと背中を押して下さったおかげで、彼女はMILE での学びを通して、なぜ自分の父親が哲学なるものをかくも愛してやまないのか、その理由を悟り知ることができたのです。すなわち、人間の究極的な使命は、真理 ―Veritas― を求め、見出し、そして、これを生きることにこそあるのだということを(Searching for, finding, and living the truth is the ultimate vocation of a human being)。ひとりの親として、そして哲学徒として、わたしは、ただ感謝するばかりです。
おかげさまで娘は無事 ICUに合格し、夢を叶えました。併願していたアメリカのリベラルアーツ大学にも5校のうち3校に受かりました―しかも、すべて奨学金のオファーつきで! けれども、それよりもっと大切なのは、彼女に開かれたのは「ICUへの扉」だけでなく、「真理への扉」でもあったということなのです。
ジェレマイア・オールバーグ Ph.D.
国際基督教大学(ICU)特任教授
哲学・宗教、平和学
宗教センター所長(代行)
FORUM-ICUの主宰者である松谷さんと私たち夫婦とは十数年来の付き合いで、その人柄に関しては絶対の信頼がありました。また、ICUで教えてきた非常に優秀な学生の中に、少なからぬ人数のFORUM-ICU出身者がいたこともあって、娘が受験期にさしかかった際には、安心して松谷さんにお願いすることができました。そして1年間が経った今、娘がFORUM-ICUでの学びから得たものは、私たちの期待以上であったと確信しています。志望していたICUに合格できたことは、もちろんひとつの喜ばしい結果です。けれども、FORUM-ICUにおける、リベラルアーツの理念に基づいた批判的思考の訓練は、むしろ今後の大学での学びの中でさらに生きてくる「基礎体力作り」であったと思っています。息の長い効果を得られる経験をさせていただき、娘ともども心より感謝しています。
K博士 [ICU卒]+KYさま[ICU卒]:国際基督教大学 教授+ICU OG

FORUM-ICUの主宰者である松谷さんと私たち夫婦とは十数年来の付き合いで、その人柄に関しては絶対の信頼がありました。また、ICUで教えてきた非常に優秀な学生の中に、少なからぬ人数のFORUM-ICU出身者がいたこともあって、娘が受験期にさしかかった際には、安心して松谷さんにお願いすることができました。そして1年間が経った今、娘がFORUM-ICUでの学びから得たものは、私たちの期待以上であったと確信しています。志望していたICUに合格できたことは、もちろんひとつの喜ばしい結果です。けれども、FORUM-ICUにおける、リベラルアーツの理念に基づいた批判的思考の訓練は、むしろ今後の大学での学びの中でさらに生きてくる「基礎体力作り」であったと思っています。息の長い効果を得られる経験をさせていただき、娘ともども心より感謝しています。
FORUM-ICUの主宰者である松谷さんと私たち夫婦とは十数年来の付き合いで、その人柄に関しては絶対の信頼がありました。また、ICUで教えてきた非常に優秀な学生の中に、少なからぬ人数のFORUM-ICU出身者がいたこともあって、娘が受験期にさしかかった際には、安心して松谷さんにお願いすることができました。そして1年間が経った今、娘がFORUM-ICUでの学びから得たものは、私たちの期待以上であったと確信しています。志望していたICUに合格できたことは、もちろんひとつの喜ばしい結果です。けれども、FORUM-ICUにおける、リベラルアーツの理念に基づいた批判的思考の訓練は、むしろ今後の大学での学びの中でさらに生きてくる「基礎体力作り」であったと思っています。息の長い効果を得られる経験をさせていただき、娘ともども心より感謝しています。
冬木れい 先生:料理研究家

うれしい春を迎えています。息子はようやく塹壕戦のようなわけわからないところから脱して、なんとか光の中に身を置くことができたようだと感じております。…頭がいいとか、そうでないとかを雑に人の評価の基準にしますが、人にはその人にあった手続きのようなものがあって、それを慎重に調えていかないと自分の本当の道が拓かない仕掛けになっているのではないかと息子の姿をみていて思うようになりました。人生を拓く大事な手続きが、息子にとっては、なんと贅沢なことに、FORUM-ICUの松谷先生との出会いだったようです。この一年の間、息をのむほどに目覚ましい彼の成長を見届けることができたのは、本当に幸せなことでした。松谷先生の圧倒的な実力と真実をとらえる冷徹な眼差し、そして、先生のエレガントでスマートな物腰に、全幅の信頼をおいて学べるという贅沢を、彼は心の底から必要としていたのだと思います。この一年の激しくて光に満ちた贅沢な時間を、この上なくポジテイブに過ごした経験は、これから先の彼の歩みにおいて、大事な試金石になることに間違いはありません。松谷先生はじめ諸先生、本当にありがとうございました。
うれしい春を迎えています。息子はようやく塹壕戦のようなわけわからないところから脱して、なんとか光の中に身を置くことができたようだと感じております。…頭がいいとか、そうでないとかを雑に人の評価の基準にしますが、人にはその人にあった手続きのようなものがあって、それを慎重に調えていかないと自分の本当の道が拓かない仕掛けになっているのではないかと息子の姿をみていて思うようになりました。人生を拓く大事な手続きが、息子にとっては、なんと贅沢なことに、FORUM-ICUの松谷先生との出会いだったようです。この一年の間、息をのむほどに目覚ましい彼の成長を見届けることができたのは、本当に幸せなことでした。松谷先生の圧倒的な実力と真実をとらえる冷徹な眼差し、そして、先生のエレガントでスマートな物腰に、全幅の信頼をおいて学べるという贅沢を、彼は心の底から必要としていたのだと思います。この一年の激しくて光に満ちた贅沢な時間を、この上なくポジテイブに過ごした経験は、これから先の彼の歩みにおいて、大事な試金石になることに間違いはありません。松谷先生はじめ諸先生がた、本当にありがとうございました。
その他の保護者さまからのメッセージ : 再掲載準備中

サイトのリニューアル中につき、再掲載までしばらくお待ちください。
うれしい春を迎えています。息子はようやく塹壕戦のようなわけわからないところから脱して、なんとか光の中に身を置くことができたようだと感じております。…頭がいいとか、そうでないとかを雑に人の評価の基準にしますが、人にはその人にあった手続きのようなものがあって、それを慎重に調えていかないと自分の本当の道が拓かない仕掛けになっているのではないかと息子の姿をみていて思うようになりました。人生を拓く大事な手続きが、息子にとっては、なんと贅沢なことに、FORUM-ICUの松谷先生との出会いだったようです。この一年の間、息をのむほどに目覚ましい彼の成長を見届けることができたのは、本当に幸せなことでした。松谷先生の圧倒的な実力と真実をとらえる冷徹な眼差し、そして、先生のエレガントでスマートな物腰に、全幅の信頼をおいて学べるという贅沢を、彼は心の底から必要としていたのだと思います。この一年の激しくて光に満ちた贅沢な時間を、この上なくポジテイブに過ごした経験は、これから先の彼の歩みにおいて、大事な試金石になることに間違いはありません。松谷先生はじめ諸先生がた、本当にありがとうございました。
